みんなに嫌がられるPTAって結局なんなのか
我が町はとっても田舎の閉鎖的な町です。
外から入ってきて住む人はほぼおらず。昔からここに住んでいる人がここに家を建てて何代にもわたり住んでいます。
かといって山奥というわけでもないので全然人がいない!ってほどでもないですが、田舎であることは間違いない。
なので、PTAも昭和なまんま、しっかり存在しています。
でもね、田舎でも家族のカタチは明らかに変わってきています。
夫婦共働きが大半、シングルのママもパパももちろんたくさんいるし、核家族がほとんど。そして子どもは減り続け今は学年に1クラス程度の人数になってる
しかし田舎ってねー。
良くも悪くも変化を嫌っています。
私はここで生まれて育ったから遠慮なく言いますが
お嫁にきた人、本当にめんどくさいだろうなーって心配します。
変わらないことや伝統を受け継いでいくことはもちろん素晴らしいんだけれど。
田舎の人って、今までのやり方に疑問を持つことさえしない思考といいますか
おかしいと思うことにも声をあげないことが美徳!のようなものさえ感じます。
黙ってそれに従うみたいな。
そういうものがあるんです。
もちろん故郷が私は大好きです。
だけど私は、子育てし始めてから今までとは違う景色がたくさん見えてきてしまって
ちょっとこの閉鎖度の高さに苦しくなりながらも色々考えるようになりました。
一番は、昔ながらの組織のありかたに違和感を感じました。
なぜ、子どものためのPTAにあんなにつらい思いをする人がいるのか
役員を押し付け合いながら決めて
そこまで嫌がられる組織ってなんなの?って。
そしてそして、あの人やってないとか
文句を聞くのがホント嫌で
文句言うのは、
「私も嫌だけどやったのにあの人やらないのはズルイ」そういうことなんだと思うんですよね
ソウイウノ メンドクサイ
言っちゃった(・∀・)
だけどとりあえず
何に対してどう声をあげればいいのかわからないしめちゃくちゃ必要な組織かもしれないとも思い
もんちっちママはそのPTAとやらに入ってみることにしました。
バカですかねー笑
でも入らずして、中身を見ずに意見はやはりできないと思ったんです。
私、大学で働いていて
一応まぁまぁ忙しい毎日を送っていますが
どうにかなるかとあまり考えずやってみることにしました。
とりあえず、PTAとはなんぞやがわからなければ何がどうおかしいのかさっぱりわからないと思いまして。
とりあえずそれがどんなものなのかちゃんと理解してから意見しようと考えたわけです。
私もめんどくさいか!笑
でね。
結局コロナにより大きな活動はできなかったというのが現実です!
が、
例年なら何をどんな風にしているのかはよく見えてきました。
長くなりそうなのでとりあえずこのあたりで一旦終わります。
改革とまでは行きませんがもんちっちママなりに色々と働きかけてみた報告は次に書かせてもらいます(╹◡╹)
コロナ禍だから一人でできる宿題を
今回は発達の話しとは違います。
コロナ禍において、学校の先生に宿題について考えてほしい。
妹は今、コロナの病棟で働いています。
クラスターの発生で、普通の病棟がコロナ患者さんをみている状況です。まだまだおさまる様子もありません。
日本中、こんなことがたくさん起きていると思います。
クラスターがおきたことで、妹は自分だけを自宅に隔離して子どもたちを祖母に預けて仕事をしています。
姪っ子はまだ小学校低学年です。
ママに会いたい、ママと寝たいと毎晩泣きます。
姪っ子のもう一人は中学生です。妹のように泣かないけれど不安な中一人頑張っていると思います。
親子が会えなくなってもう一週間です。
そんな中、冬休みの宿題の一つが、
料理をし、洗濯をし、掃除をし、全て写真にとってまとめてくることです。
もしかしたら、家族のお手伝いをしてコミュニケーションをとれるよう期待しての宿題なのかもしれません。
だけど姪っ子たちのお母さんは今一緒にいられません。
料理も洗濯も一人でできる子は中学生ではまだまだ少ないでしょうから、親がみてやらなければこの宿題はできません。
一人でやっていないから宿題にしたんでしょうし。
写真をとって、編集してやるのにも親が必要です。
小学校の宿題も、毎日のお返事カードやお手伝いの書き込み、全部親が必要です。
できる限り子どもたちに接触したくない医療関係者にとっては難しい状況です。
我が家も私も主人も医療関係者です。
いつ、妹のようになるのかわかりません。
コロナ禍だからこそ、宿題のあり方を少し考えてはどうでしょうか。
やりたくても一人でできない、やってやりたくてもしてやれない、子どもも親も辛いです。
一人でできるような宿題で十分ではないでしょうか。
医療関係者は本当に疲弊しています。
どうか、これ以上医療関係者の家族や子どもを苦しめないでほしいな
先生たちもそんなつもりじゃないと思う
だけどもう少し想像してください
お願いします。
コンサータ3日目
投薬初日はやっぱり本人の緊張感もあったから劇的に変化を見せていたもんちっちですが
2日目、3日目は落ち着いて過ごしてはいるものの初日ほどの劇的変化は少なくなったみたいです😙
それでも、この3日間保健室には全く行ってないらしく、イライラすることもなく教室で授業を受けているらしいです。
受けている、かは分かりません💦
とりあえず机に向かっているからそれでオッケー👍としています。
集中してる時間はノートをとったりもしているみたいですが、聞くことが増えたり書くことが増える授業だとなんとなくフェードアウトしてるみたい。
まぁ、いいかな。
6時間授業で教室にずっといられるようになったことだけでも相当な変化。
しかし、何してるかっていうとね。
どうやら本を読んでいるようです😳
もんちっち、読書に目覚めていて
何百ページもあるようなちっちゃな字の本をひたすらに読んでいるんです。
ハリーポッターシリーズを買い与えてしまったのがこの読書熱の始まりです💦
ゲームするよりいいわ〜
と思っていたけど、寝る瞬間まで読みふける毎日です。
こういうとこは過集中としてお薬に関係なく続いています。
チックも、投薬の初日はちょっと増えてるなぁと思って心配してましてが
この2日間は全然気にならない😌
ADHDの特性たっぷりな愛嬌のあるもんちっちが私は大好きなので
過集中なところとかみると変わってないことに安心したりもしています😙
親は勝手です😂
もんちっちに聞いてみました。
お薬のんでどう?って。
「集中しやすくなったな。
イライラもしないし、我慢できる感じかな。」
そんな感じらしいです。
しばらくこのまま内服して、受診の予定なので
しばらく見守っていきたいと思います🎈
投薬の効果 コンサータ
ママ、集中できたー!集中するってすごい!もっともっとできそうな気がする!今日めちゃくちゃ頑張れたよ!もう最高!
もんちっちの帰宅後の第一声でした。
あー、良かった😭
一気に気が抜けて、なんかもう、いろんな気持ちが押し寄せて泣きそうになりました。
いつもと変わらないもんちっちにも安心して本当にほっとしました。
投薬1日目の様子を学校の先生も教えてくださいました。
もんちっちは7時過ぎにコンサータを飲みました。
家を出るまでの30分は、いつもと変わりなく過ごしていました。
学校では、8時半頃から違いがわかったそうです。
いつもなら、授業の準備の声をかけても
もうちょっと待って
が繰り返され、結果間に合わず、焦らすと余計にできず、イライラし始めて落ち着かなくなるのですが
先生が
もんちっちくん、そろそろ1時間目の準備しようか?
と声かけると
ハイ!
っと机に座ったとのこと。
これ、もう奇跡なみのことなんです。
一回ですっと動くなんて
ひぇーー!まじかー!
って先生もなったそうで。
そのあとは、最近はちっともクラスで受けていなかった授業を一日自分の席に座って受けたそうで。
ノートまで綺麗にとっていました。
別人のような字で、ちゃんとマス目の中に文字が入ってます😭
休み時間になるといつもは外遊びに飛んで行くらしいのですが、その日はいきなりお道具箱を引っ張り出して掃除と整理整頓を始めたそうで。
もんちっちは
「きったないお道具箱やなぁ。なんやこれ」と言いながら片付けていたそう。いるもの、いらないもの、使いやすいように考えてしまい方まで工夫したと教えてくれました。
もはや、別人です😅
先生が、片付けはそのへんにして遊んでおいで、って促してようやく遊びに行ったとのこと。
算数も計算間違いもなく、課題もさっさと終わったそうで。
何より良かったのは、もんちっちが自分は出来るんだと理解してくれたこと。
もっとできそうだと未来を描けてること。
集中して授業を受けることができただけなんですが、もんちっちにはものすごい達成感があったみたい。
先生たちも、いろんな先生が気にして覗いてくださったようで、びっくりしては褒めてくださったようで😌
心配していた食欲低下もほとんど影響なく食べられたみたいでここもクリア。
いやー、コンサータの一日目はできすぎな結果でした。
ずっとこの調子ではないでしょうが、今までとは違う自分を見つけられたことに意味があると思っています😌
投薬を決断する
もんちっちは最近ADHDの特性が強くなってきています。
毎日の様子に波はあるものの、授業が受けられない状況が続いていました。
先日、かかりつけの先生に相談し、投薬を決断しました。
ここに至るまで、どうにか環境を整えることで投薬をせずに彼の成長でどうにかなるのではないかと期待していました。
もんちっちも、随分頑張ってくれたと思います。
学校の先生も、できる限りの配慮をしてくださったと思います。
それでもやはり、授業が受けられなくなってしまいました。
もんちっちに、病院の先生が聞きました。なぜ授業受けたくなくなるのかな?って。
もんちっちは、
「集中したいけど、できない。座ってようと思うけどイライラそわそわする。だから、保健室とかに行くって言う。」
そう話しました。
私もそれを聞いて、彼がもう自分では自分をコントロールできなくて苦しんでるんだとよく理解しました。
そして彼の一番の願いは
「テニスの練習でもっと集中してちゃんとコーチの話しを聞いて、ルールを守って、選手コースに行きたい」
そう話しました。
テニスのコーチからは、話しを聞いたり順番を忘れないなどのルールを守れるようになれば選手コースに呼ぶよ、コーチも楽しみに待ってるんだよ、そう言われてきて
もんちっちにはどうしてもそこができなくて悔しい思いでここまできています。
かかりつけの先生は、お薬についてもんちっちにわかりやすく説明してくださいました。
もんちっちは、
「薬の力ではなくて自分の力で頑張りたいからいいです」
とまず答えました。
私はびっくりしました。そんな風に考えるのかって。
先生は
「薬の力じゃないよ。薬を使えばもんちっちくんの本当の力が出せるんだよ」
と優しくお話ししてくださいました。
もんちっちはしばらく考えて
「じゃあ、飲んでみようかな」
って答えてました。
先生は、もんちっちくんの場合は薬の効果が出ると思う、テニスのコーチの話しも聞けるようになると思うし学校の授業も集中できるようになると思います、と。
テニスをとことんやらせてあげたらいい、好きなことをするために薬の力を借りて頑張ればいいって。
テニスの試合に出るようになれば是非応援に行きたいな、そう仰ってくださいました。
素晴らしい先生と出会えたことが何より心強いし、もんちっちの力が出せる環境を、今からはお薬の力も借りながら調整していきたいと思います。
薬は来週から開始予定です。
私ももんちっちもちょっと緊張気味ですが、またどうなったか報告したいと思います😌
コロナウイルスとトップの資質
今、言うまでもなくコロナウイルスが世界中で猛威をふるい、私たちの生活に大きな影響を与えています。
そんな中、私は見えてきたものがあると感じています。
それは組織トップの思考と人間性そのものです。
何を大切に考えているのか、トップの本音、本心というものを含んだ資質が、全てのベールを脱いだかのように見えてきた気がします。
うちのトップは頼りになる、そう感じた組織はこれからきっとより強い組織になるような気がします。
国、都道府県、自治体、それらのトップももちろんのこと身近なところで言えば私たちの職場である組織のトップが何を大切に考えている人であったのか。
雇用されている側としての勝手な解釈で言わせてもらうと、職員やその関係者を本当に大切に考えているのかというところまで見えてきた、そう考えている人が多くいるのではないでしょうか。
トップにはトップの責任による思考がきっとあるのでしょうが、決められない日本人という側面も強く感じました。それは日本社会の良いところでもあったのだと思います。でも今は、それが大きな過ちの始まりにならないかと不安を感じます。
国という大きな単位でも然り、都道府県も然り、市町村なんて周りを見てからしか動かない。動けないというべきなのでしょうか。
みなさんの職場はどうでしょうか。
批判することが簡単なのは承知の上で書きますが、それでも今は命がかかっている緊急事態であることを鑑みれば組織のトップが本当に人としてトップにいるべき人物てあるのかがよく見えたと思う人が多くいるのではないでしょうか。
私の所属する組織においても、コロナ対策として組織における全ての活動を止めようという意見に対して、
今後感染者が出たとしても、感染者が出るということが問題ではなく対策をしていたかという事実が大切である、このまま続行すると。
やはりそういう考えであったのだと私は落胆しました。私が勤務する組織は、利益がなければ会社として存続できないような組織ではありませんがそれでもそうなのです。
対策をしていれば感染者が出たあともとりあえず説明がつく、そんな考えのトップかたくさんいるのではないでしょうか。
子どもたちの学校も、再開されようという流れです。学校の中で、誰も感染者を出さないと思っている人はいないのではないでしょうか。万が一感染者がでれば、その責任を被ろうというほどの信念、絶対に大丈夫だという確信を持って決断した自治体はあるのでしょうか、周りをみて決断しているトップがほとんどではないでしょうか。
自治体にしたら国や都道府県が決めないから仕方ないことなのかもしれませんが、本当に子どもを守れるのか今一度考えていただきたい。
感染者がでてから止めればいいと考えるのなら、やめていただきたい。
そんな賭けはいりません。
その子どもは一人しかいません。
感染者数の一人ではなく、その子として考えて欲しい。
日本の感染者数が見かけ上の数でしかないことは誰もが知っていることてす。医療崩壊を回避するために検査の数を制限していることも、都道府県の発表する検査数を見ればよくわかります。濃厚接触者を中心にしか検査していないのだから、その他の経路不明の感染者が少ないのは当たり前です。
それで大丈夫なんだというのであれば、潜んでいる感染者が今後爆発的な感染者を出す原因にならないのかを危惧します。
日本には、諸外国に比べるとこんなに時間があったのに、何も制度を整えてこれなかったのではないかと思えてなりません。
アメリカ大使館も「幅広く検査をしないという日本政府の決定によって、新型コロナウイルスの有病率を正確に把握することが困難になっている」と指摘し国民に帰国を促し始めたようです。今後数週間、日本の医療制度がどう機能するかを予測するのが難しいと。
日本が近いうちに医療崩壊するとよんでいるということではないでしょうか。
私たちの考えている以上に、コロナはすぐそばにいるはずです。
数週間後、心配しすぎだったと言える日がきますように。
母としての学び
気づけば今年も残すところ1カ月と少し。
もんちっちの二年生も、あっという間に二学期が終わろうとしています。
母として、学んだことがあります。
学校の先生も、子どもを理解するまでには時間が必要だということです。
そして、発達の問題があることに、親は甘えてばかりではダメだということ。
4月、新しい担任の先生になり、ベテランの先生だから安心しきっていた私がいました。
そんな中、先生からの毎日のようにもんちっちの問題情報?を伝えられ、親としては心が折れそうな時もありまして(°▽°)
正直、凹んでいたと思います。
1年生がなんとなくうまくいって、このままいけると思っていたからショックだったのかな。
1年生のときは毎日頑張ってますよ!って先生はニコニコしながら学校での様子を伝えて下さることが多くて、そこまで学校から連絡はなかったのに、なぜ2年生になった途端に、
あれもダメ、これもダメ、全然できていない、
とまぁ、そんな連絡ばかりになって( T_T)
なぜことになったんだろうって不安で、
理由がわからないから、
先生は厳しすぎるのではないか、このままだと発達の問題について適切な理解を得られないのではないか、
そんなふうに考えていました。
だけどたぶん、先生も、もんちっちのことが分からなくて、掴めなくて
だけど日々の生活の中ではもんちっちの苦手はいっぱい見えて、だから私にたくさん聞きながら伝えてくれた。
極端に椅子に座る姿勢が悪いこと、ノートをとるのが遅れること、気が乗らないと連絡帳を書くのさえ一苦労なこと、休み時間には遊びで頭がいっぱいになって次の授業の準備もままならない、せかすとイライラしてること、苦手な食べ物があって給食で大変なこと、
全部私にとっては「知ってる」情報。
「こんなに大変なんです!」と言われても
随分とこれでもマシになったんだけどな、としか思えない情報。その時は、、
いきなりこれならきっとひっくりかえるけど、私には良く知ってる日常だから、
もっともっと大変だったから、たぶん先生と温度差があった。
だけど、先生にはその時出会ったもんちっちが初めて知るもんちっちなわけで。
2年生なのにこれなの?って思ったかもしれないわけで。笑
8年間、ずっと側で見てきた私と捉え方が違うのも当たり前。
先生は、もんちっちのことを知りたかったのかな、今はそんなふうに思っています。
そして、発達の問題があるからそんな完璧にはできないし仕方ないと思っていた私にも問題があると言うことも教えて頂けたと思います。
二学期になると、先生がもんちっちのことを伝えて下さる内容も変わってきました。
もう、頑固でね!言い出したら引かないし腹がたつから二人でケンカみたいに言い合いになる時もしょっちゅうですよ!でも、謝りにくるしなんか許せてしまうのは彼の得なところだわー!ほんとにもうって許してしまう!( ̄▽ ̄)
とか
先生も、もんちっちのことが掴めてきたらうまく対応して下さるようになって
笑い話しにもして下さるようになった(^ ^)
私も、先生と今後どうやって階段を登って行こうかと話せるようになった。
まだまだ、難しいことはたくさんですが
もんちっち曰く、毎日は最高らしいです。
その答えが全てだと思います。
私もまだまだ、未熟な親で
もんちっちや、もんちっち弟のためにも
未熟なことを忘れないようにしなくっちゃ。