もんちっちの劣等感
もんちっちが抱えている劣等感というものを、最近初めて知りました。
今までは、もんちっちが言語化して自分の考えを話すことはあまりなかったので
どう考えているのかは分かりませんでした。
どうやら、もんちっちの居心地の悪い場所は、保育園らしいです。
保育園時代というべきなのか。
何故かというと、英語で話さなければならなかったから、だそうです。
これは、インターに入れてしまった私に責任があります(T-T)
幼い頃は、今よりもっとADHDらしさが全開でした。
好きなことのみ集中!聞こえていても、ほとんど聞いてない状態。マイワールドでひたすら興味あることをやる!
だから、もんちっちは英語のレッスンを最初の方は全く聞かなかったんです。
日本語でさえ、ほとんど指示を聞いてないのに
英語を最初から聞いてなかったことで
余計にわからないとなったようで。
お話ししたいのに、わけのわからない言葉を使わないといけなくて
楽しくなくて、そしてレッスンは聞かない。
悪循環でした。
こんなことの繰り返しで同じスタートをきったお友達より英語の力は随分と遅れをとることになり。
お友達は好き。先生も好き。
だからどうにか過ごせて、私はあまり気にしていませんでした(T-T)
年長になると英語も保育園児レベルでの会話はできるようになって遊んでいたし、
もんちっちのペースで頑張ったと思っていました。
今回、夏のサマースクールはどれくらい行く?なんて話しをしたら
行きたくないなぁと言い出したんです。
サマースクールは、卒園した保育園が夏休みの間、卒園児に向けて開校してくれていて
7割くらいの卒園児がきています。
なぜ行きたくないのかきくと
『保育園では、僕はダメな子だったから。
今も、英語はやっぱり得意ではないし
友達とは遊びたいけど
英語だとまたダメな子になる。嫌な自分を思い出す。
言いたいことが言えないのは嫌。』
そんなことを言いました。
そっかぁ。
そっかぁ。
そんなふうに、感じてたんだな。
ごめんね、もんちっち。
サマースクールには、行かないことにしようかと話しをしました。
卒園してからずっと、もんちっちのために保育園の先生はプライベートレッスンをくんでくれています。
みんなとのレッスンはせず、短い時間にしてプライベートレッスンを卒園してから続けてきました。
文法とか、なぜそうなるのか理由を日本語で説明して理解するほうがもんちっちには合っているし、彼も楽しいと思うと先生たちは、もんちっちに合わせたレッスンをしてくれています。
その理由を、話す時がきたともんちっちに説明してみました。
『今、みんなとレッスンせずに○○(保育園の先生)と、プライベートレッスンしてるでしょ?あれはね、先生が、ママに言ってくれたからだよ。
もんちっちは、できない子じゃない。小学校に行っても英語を続けさせてやって欲しい。絶対、いつか英語がもんちっちを助けてくれる時がくる。だからお母さん、もんちっちをここに連れてきてやってねって。ママは先生にそう頼まれたの。』
もんちっちは、うぇーんって言いながら泣いていました。
嬉しいって。
先生のことは大好き、これからも、プライベートレッスンは行く、と。
辞めたいなら、辞めてもいいと私は思ってます。
だけど、英語はもんちっちのことを苦しめたかもしれないけれど
インターのおおらかなところは、もんちっちにとって必要な場所だったとも思うんです。
多様性というものが当たり前のところで
ネイティブの先生たちは、彼はとても面白くでユニークな子どもだと言ってたくさん彼と遊んでくれて、私にもたくさん彼の面白さを伝えてくれた。
みんな同じじゃなくていい、なんて、そんなこと言わなくてもそんなの当たり前のところだった。
そして、もしもんちっちにとって
このきっちりた日本の世界がしんどいのなら
いつか世界を見て欲しいと願っている私もいる。
大きなことをするとかでなく
好きなとこで、自分の合う空気の世界で
自分らしく生き生き過ごせる世界で
好きな仕事をして働いてくれたらいい。
そのとき、英語は、外の世界へのもんちっちのハードルを下げてくれるんじゃないかと
そんな淡い期待もある。
だけど、それは幼いもんちっちに分かるはずもなく、私の勝手な考えでしかありません。
もんちっちは、一度できない自分と向き合っていたんだなぁ、そんなことを知り
心がきゅーんとなった出来事でした😔