無駄な戦いはしない
先日、発達外来の受診がありました。
受診に行く前に学校の先生からは、
・嫌いなものが多くて給食にものすごく時間がかかること
・整列ができず姿勢が崩れること
この2点を学校側がどう対応すべきか聞いてほしいとお願いされていました。
発達の先生からは、
好き嫌いに関してはすぐには難しい
この子たちは苦手なものを努力して食べられるようになるということはあまりない、というお話しがありました。
整列に関しても、ピシッと止まることは無理でしょうと。中枢性の問題で、姿勢を保つことができない。この範囲にいたらオッケー👌という範囲で見てもらってください
ってお返事。
これをそのまま学校の先生にお伝えしました。
こういうとき、私だけかな。
なんだか、とても申し訳ないという気持ちでいっぱいになります。
小学校、社会にはルールがあり、私もそれはよく理解できる。
ルールを守ったり、苦手なことも努力して皆と同じようにできるということが、この年齢の子ども達の教育にとても重要であるということもよく分かります。
なのに、うちの子だけはこれでお願いしますって、そう伝えるのがものすごく心苦しくて申し訳ない気持ちなんです。
それを、見透かされたのでしょうか。
同席されていた年配の先生がふいに言われました。
「お母さん、いい話し合いになりましたね。
無駄と言ってはなんですが、お互いに無意味な努力はやめましょう。
もんちっちくんも辛い、言い続けて時間をとられる私たちもしんどいですもんね
野菜食べなくても元気ですもん
ピシッと止まれなくても生きていけますわ
目が見えない人に、これを読めと言ってたようなもんです。
もんちっちくんに、辛いことしてしまった。
無駄な戦いでしたね」
とっても、ありがたかったんです。
ADHDの診断を受けて、彼の特性を明確にして、本当に良かったと思えた瞬間でした。
うちのこたちのような発達に特性のある子には、努力してもどうやっても、できないラインがあります。
見ていたら、よく分かります。
例えば、ものすごい悪いことをして
ものすごーーーい叱られて、お説教されている途中にもダラダラして休めみたいな姿勢になる。
見ているこっちがハラハラします。
ちゃんと姿勢を正して、目を見て話しを聞きなさい!
と言われても10秒くらいしかできなかったり
そしてすぐ休めみたいな姿勢でダラーンとなる。
全然わかってないやないかー!!
と、また叱られるわけです。
こういう、本当に悪いことしたときはしっかり叱ってもらおうと思っているのでこの対応でいいんですが。
あんな叱られてもピリッとできないのに、普通の整列でピシッと止まるわけはありません✋
だけど、これもADHDの診断がなければただの聞き分けのないだらしない子としてずっと注意されると思うんです。
そう考えたら、ADHDという診断は、やるべきことのラインを少しだけ下げてくれるかもしれない、そう思いました。
ラインを下げるというのは、なんでも許してという意味ではないです。
不快に感じる方がいたらごめんなさい。
ただ、できないことでずっと叱られててしまうと、自分はダメなんだ、できないんだって
自己肯定感が下がってしまうと思うんです。
それがとってもこわいなぁと。
自己肯定感が下がってしまうと、その先にはもっともっと辛いことが起きてくる。
だから先生に特性のことをきちんと伝えること、
それは親の考えだけでなくてきちんと専門家の意見を聞いて伝えること、
これらが子どもが無意味に傷つくのを防ぐことになると思います。
学校と密に連携をとることの大切さも今回のことで学びました。
もんちっちは、給食の時間はトイレにこもっていることが多いらしいんです。
もんちっちのトイレは超速効型です。
トイレにこもる、、、
そんなことはないので、間違いなくトイレに逃げてたんです。
辛かったんだろうなぁ( T_T)
そっともんちっちに聞いてみました。
「給食で困ったことあった?」
もんちっち「うーん。。。なんでわかったの?」
「先生と話しして、苦手なものは減らすか、食べないか、もんちっちが決めていいことになったよ」
もんちっち「本当?助かったー( T_T)。ママに悲しい思いさせたくなくて黙っててん。ごめんな」
って。
色んなこと、考えてるんだと私も知りました。
本当に、学校にも先生方にも、感謝です( ◠‿◠ )