きみらしく- ADHDと仲良くいこう

興味のままに不注意を携えて動き回る、そんなうちの子はADHD代表選手の一人です。彼を育ててるからこそ見えてきた世界、そこから感じた色んなこと、伝えていけたらと思います。

大阪北部地震

怖かったですね(T . T)

 

みなさんは大丈夫だったでしょうか。

 

うちは、もんちっちをいつものように校門まで見届けて、仕事に向かおうと車で出発したところで緊急地震速報が鳴り響きました。

 

グラグラーって、車が揺れるほどの地震でした。

 

もんちっちたちのことが頭をよぎりました。とりあえず、もんちっちは学校に入るのを確認してたからまだ心は安心でした。

弟は、パパといるから大丈夫と思ってたらラインで電話がかかってきました。

無事と聞いてホッとして。

 

もんちっちがどうしても心配で学校の方へ戻ってみました。

校庭にみんな並んで避難したところくらいでした。

 

とりあえず大丈夫そう。

学校からの連絡も特に何もなかったのでそのまま学校にお任せして仕事へ向かいました。

 

やっぱり、思い出したのは阪神大震災

 

あれは本当に怖かった。

 

ちょっとでも揺れるたびにあの朝のことが蘇ります。

 

あの地震があってから、うちの家では一階に寝室は作らなくなりました。

一階だと怖くて眠れない。

 

あのとき、知ってる人もたくさんなくなりました。

まだまだインターネットなんてなかったし、テレビをつけても早朝はほとんど情報なし。

そしたらすぐに電話がなり、神戸市内の親戚からでした。

家が崩れている、がれきでみんな動けない。近くから火がでて、煙がいっぱい、神戸がめちゃくちゃだと叫んでいました。

 

まだまだ、誰も神戸が潰れたと知らない時間、父は車を走らせてうちから30分の神戸市内へ向かいました。

 

親戚の家族が埋もれているから。

 

父は、それしか情報がなかったから飛び出して行きました。

 

あのときは、テレビはまずは大阪とか周りの情報だけで、神戸が潰れたなんて全く情報がなくて、

だから当然渋滞もなくて、父は予定通りに親戚の家につき、がれきの中から這い出てきてた親戚の子どもたちをとりあえず乗せて戻ってきました。

幸い、親戚の家族はみんながれきから這い出すことができて無事でした。家は全壊でしたが、周りはたくさん亡くなっていることを考えると、奇跡です。

行くとき通った長田は火がでて、燃え上がって、行くとき通った道はもうなかったと、そう言っていました。

 

それから、どんどんテレビで放送されて

神戸がうつって

いとこたちは自分たちの街を見て泣いて叫んでいました。

 

余震のとき、ゴゴゴゴゴーって地鳴りがしてそして揺れるんですよね、その度にみんなで震えてた、あの地響きみたいな不気味な音は何年たっても覚えてます。

怖かった。

それしか残っていない、阪神大震災

 

あれからこんなにたってまた、大きな地震が関西にきてしまった。

 

もっともっと大きな地震も、いつくるかわからない

 

子どもたちは、今回のことで身を守ることの大切さを感じてくれたようです。

 

私も、あの怖かった思い出を思い出にせず、もう一度考え直さないといけないな

そんなことを考えた今日でした